光速船・Vectrexについて


コンピュータビジョン・光速船とは

鮮烈!
21世紀のスペース・スペクタル!
テレビ無用のパーソナル・ゲームマシン!

(日本版カタログのキャッチコピー原文)

通常外観。 コントローラを収納した状態。

「コンピュータビジョン・光速船」とは、バンダイより1983年7月27日に定価54,800円で販売されたゲーム機である。

ちなみに当時のバンダイは日本初のCPU内蔵TVゲーム機「アドオン8000」を発売して大ゴケしたり、海外から「インテレビジョン(海外名称:Matel「Intellivision」)」、「アルカディア(海外名称:Emerson「ARCADIA 2001」)」を輸入販売してさらに日本独自ソフトを開発してもやっぱり大ゴケしたり、TVゲーム界では努力の割には報われないメーカーという印象が強い。

本体に内蔵された縦置き9インチ白黒モニタは家庭用ゲーム機としては世界唯一無二のベクタスキャン方式であり(ブラウン管内蔵筐体はポンテニス初期に別にあったらしいので唯一無二ではない)、その独特の表示は今もなお固定ファンが多い。

ブラウン管を内蔵しているという事で「外付けTVを必要としないスタンドアロン型ゲーム機」であることも特徴的、当時はまだTVというのは高額商品で、「子供部屋にTVがある」なんてのは金持ちの子供くらいなもんだったのだ、またTVによる情操教育云々ということで親が番組を選ぶ時代だったし。ちなみに上部背面にはブラウン管の形をうまく生かして「取っ手」が付いており、持ち運びする事を考慮したデザインであったりする。

背面上部の凹み部分、割と持った時の重量バランスは良い。下のツマミは輝度調整用 ROMカートリッジソフトの外観。 ROMカートリッジスロットは正面左横にある。実は「インテレビジョン」とコネクタ部分は共通でケースを一部削ればインテレビジョンのROMカートリッジが刺さってしまう、同人ソフトにてこの手法が多用された。

ソフトはROMカートリッジにより供給、本体価格を安価にするためモニタは白黒であったが、このハンデを解消するために一部を除くソフトには「オーバーレイ」と呼ばれるゲーム毎に独自のデザインを施された「カラー下敷き」が付く。初期のアーケードゲームにあった白黒モニタ+カラーフィルム方式と考え方は近い。このオーバーレイをモニタ前の上下四箇所のツメにはめ込む事により擬似カラー表示、及びベクタースキャンにありがちな表示フリッカが軽減される。ソフトにもよるが、オーバレイが無ければソフトの面白みは半分以下になると言っても過言ではない。

電源は昔のTVに良くあった「音声ボリューム兼型」、一番左に捻ると電源OFF、そこから一段カチっと右に捻ると電源がONになり、さらにそこから右に捻ると音声ボリュームが大きくなる。このボリュームは経年劣化で音量変化時に非常にガリが出やすいが、動かさなければ問題なし事が多し。ボリューム自体はアメリカンに筐体がビビりまくるほどの大音量を出す事も可。ボリュームの横はリセットスイッチである。

オーバレイ、これは本体添付の「マインストーム」用。 本体下部、左側はスピーカー、右側上段がコントローラソケットで右が1P、左が2P、右側下段は右が電源兼音声ボリューム、左がリセットボタン。

動作中は「ブーン」という感じの音が結構な音量で出るが仕様というか設計上の問題なのであまり気にしない方が良い。ちなみに最後期ロットではこの動作音の対策がされている、らしい。

コントローラは当時「手にもって遊ぶパッドまたはジョイスティック方式」が一般的だったのに対し、床に置いて使用するアーケードゲームライクなジョイスティック+4ボタンを採用。しかも本体に収納が可能という優れものである。

当時は死ぬほど格好良く見えたコントローラ。今でも格好良いけど。 収納する際はコードをこのように巻きつけて回転させる。取り出す際は本体側のツメを押し上げてコントローラの下部を回転させるようにするとスムースに行く。

ジョイスティックはアナログ入力方式でかつセンター戻りバネ付きであり、恐らくはセンター戻りバネ付きでアナログ方式の量産式コントローラとしては世界初と思われる(戻りバネなしだとApple][の純正ジョイスティック等が存在) でもアナログ入力に対応したソフトは非常に少ない。端子はいわゆるD-SUB 9pin、差込側がメス型の「ATARI端子」で一時期デファクトスタンダートとなっていた形式であるが、前述の通りアナログ入力なので「物理的互換はあるがプロトコル互換無し」という事で他機種のコントローラは刺さるだけで使用不可。端子は二個付いていてソフトによっては二人同時プレイが可能。また周辺機器も2P用コントローラコネクタに差し込む形になる。

ソフトも初期はアーケードからの移植作が多く(日本ではマイナー物な作品が多い)、基本的に「アーケードゲームを家庭に持ち込む」というのが開発コンセプトと思われる。

さてこの「光速船」、元々はアメリカのGCE社が1982年末に米国でリリースしていた「Vectrex Arcade System」というものを輸入、及び日本語版としてローカライズしたものである。そう「インテレビジョン」「アルカディア」で失敗したのにまだ懲りてなかったんですな。

もっともローカライズと言っても本体とコントローラに貼ってあるステッカーがバンダイデザインの物に変わって、コンセントケーブルを日本向けに交換しただけなんだけど。

そんな訳で中身は「Vectrex Arcade System」と全く一緒である、起動しても「光速船」なんて文字は間違っても出ない。当時は気付かなかったが「光速船」のステッカー部分にちゃんと「Vectrex」ロゴが入ってるのは、起動後「Vectrex」ロゴがデカデカと出ても不自然にならないように、という心遣いだったのではなかろうか。単なる逃げとも言いますが。

起動画面、ここで「光速船」って出たら格好良かったのになぁ。

でもいい名前だよね「光速船」、「コンピュータビジョン」って部分はまんま70〜80年代のイメージで、当時でもちょっと時代遅れ感があってどうかと思うけど。E.スミス著のSF短編小説「光速船スカイラーク」との関連は謎だが、なんとなくその辺から付けたっぽい気はする。

前述の通りあまりに高額な商品なんで、当時玩具屋では時限方式のアーケード筐体や、筐体+ソフトのレンタルシステムなどがあった。

しかし当然ながら「コストパフォーマンスと良質なソフトの塊」のようなファミコンには全然勝てず、結局ソフトも日本では本体と同時にリリースされた11本のみで終了、ソフトの質も全くファミコンに及ばず。CMには米国で発売していた「ライトペンシステム」が出ていて実際ローカライズも進んでいたようだが結局未発売に終わった。ソフト同梱のカタログには第二期ソフトの名称と「3Dシステム」、「コンピュータキーボード」まで予定に出ていたのだが…。

ライトペンシステムに関してはオリテクツーシンの2003/05/07付けエントリで「光速船販売停止」の際にバンダイに文句を付けたらライトペンシステムとローカライズ途中の手書きマニュアルをタダでくれたとか、全ソフトを半額で売ってくれたなんていう逸話が残っております。

本体販売終了後、数年経ってバンダイに修理を依頼したら「うちではそのような製品を扱った経緯はありません」と言われた伝説もある…まぁそのころにはGCE社も無くなってるんだから直しようもないと思うが、なぁ。

ちなみに発売後数年で一部のおもちゃ屋では在庫処分と称して9,800円で売ってたなんて話もあって羨ましい限りである。正月過ぎでお年玉が残ってればオレも買ってただろうなぁ。



アーケード版光速船

おもちゃ屋やデパートのおもちゃ売り場に設置された「コイン投入式」光速船。記憶が曖昧なんだが日本版はまんまアーケードのテーブルトップ筐体だったような記憶が。

著者の知る限り一回日本のヤフオクに中身が出たことがあるが、その時はネジ穴の開けられた光速船本体のみだったと記憶している。落札価格は普通の光速船より多少安い程度だった。

ゲームは本体内蔵の「マインストーム」のみ。常時デモが稼動していて、コインを入れると一定時間コントローラが効くようになる仕様であるらしい。これは後述する米国版アーケード筐体とまんま一緒なので、この部分だけ輸入したか回路図を貰って日本で作ったのではないかな、というのが著者の推測。だれか写真持ってませんかねコレ。

で、米国版アーケード筐体はMINI CADE (http://sap1.club.fr/minicadea1.htm)という名称でフランスの方が詳しい解説を書いている。こっちの筐体も格好いいなー、一体幾らで落札したんだか。



レンタルシステム

高額な価格故にメーカーからの営業戦略の一環としておもちゃ屋から一般家庭へのレンタル業務というのが存在した。

もともと「レンタルをやっていた」という話はかなり前から聞いていたのだが、何故かeBayでバンダイの店舗向け資料が流出して(見事に競り負けた…)、その写真から完全なる事実と判明した。なお会員制だった模様で、前述の資料と会員カードの写真も探せば見つかる。

また「光速船」には専用のキャリングケースが存在していて、これが米国版及びロゴ違いの欧州版とは全然違う形(どちらかというと単なる「スポーツバッグ」)である。極めてレアな品物で販売ルートも謎だったのでこの貴重なブツをお持ちの「TV GAME 館」(http://www.tv-gamekan.com/)管理者のソーナンス氏にBBSで尋ねて見たところ「レンタル用のバッグ」という説が出てきた。別の写真では純正の箱が丸ごと綺麗に入るようになっている模様。

ちなみに米国版キャリングケースは本体を購入した際に通販申込み書がついて来るのでコレで購入可能。欧州版は不明だが割と数が出ている事を見ると店頭販売してた可能性があるんじゃないかと思う。



海外版「光速船」こと「Vectrex」について


米国版。 欧州版。

ATARI VCS(2600)、アメリカで1977年に発売され、発売後しばらくは低調であったが皮肉な事に当時の日本輸入代理店だったエポックの要請により製作された「スペースインベーダー」の大ヒットによりブレイクした「世界で初めて商業的に成功したTVゲーム機」、このマシンと半導体技術の進化がきっかけとなって「家庭用TVに表示可能なカセット交換式ゲーム機」が色々発売された。

その一方で1980年末から1981年春先にかけて米Western Technologies(Smith Engineering)社(以降WT社と略)が安価な小型X-Yモニタを利用したゲーム機を「Mini Arcade」という名称で開発した。後年の開発者関係者インタビューによるとモニタサイズはたった1インチだったらしい。同社が開発した「Microvision」の後継機種的な扱いとも指摘される。後にマーケティングのためのタイトル案のひとつに「Vector-X」が提唱される。

「Mini Arcade」は当時スターウォーズのフィギュアでイケイケだった米Kenner社に持ち込まれ、とりあえず「モニタを5インチにする」という注文が付けられたのだが結局1981年7月に計画はキャンセルされる。

WT社はそれにもめげず8月〜9月にかけて「General Cosuma Electric」、企業ロゴとしてその頭文字を取って「GCE」と名づけられたその会社に商品化契約を結ぶ事に成功、モニタサイズはさらに大きくなり9インチとなる。GCEは50年代B級SF的な響きを持つ「Vector-X」という名称を気に入り、最終的に「Vectrex」という名称になる。

9インチモニタを縦置きに設置する事で「Mini Arcade」はよりアーケードゲームらしくなる。当時コンシューマ機のコントローラは「手に持ってプレイする」のが一般的だったが、敢えてアーケードライクにするため「床に置いてプレイする」形状とし、なおかつ本体に収納可能とした。

そのデザインが「Apple社の初代マッキントッシュに似ている」という指摘もあるが、実際の所はVectrexの方がマッキントッシュより二年前に出ているのである。むしろマッキントッシュのデザインがVectrexに影響を受けている可能性の方だって無いとも限らない。それほど当時としてはCoolなデザインであった。

「アーケードゲームライク」である事を信条としたVectrexは、初期タイトルの多くを米「Cinematronics」社のベクタースキャン作品の移植品とした、さらに米「Stern」社からの大ヒット作「BERZERK」、日本の「Konami」社からグラディウスの原点でもある「Scramble」をラスタースキャン方式からベクタースキャン方式に書き換えて移植した。

そして1982年夏に発表、同年11月に米国でVectrexは「Vectrex Arcard System」という名称でリリースされる、当時は「CollecoVision(ハード構成はほぼ後のMSXと同じ)」と「ATARI VCS(2600)」の後継機「ATARI5200」のシェアに割って入る形であったが、ベクタースキャン方式であることと別途TVを必要としない事が受けて当初はそれなりの人気だったようである。アメリカだと安かったし。

1983年、大手玩具メーカーのMilton Bradley社(以降MB社)がGCE社を買収、子会社とする。同時にMB社は同社ブランド名で欧州及びオーストラリアにてVectrexを「Vectrex」の名称でステッカー部分のデザインを変更し販売、米国では従来のデザインを継承しつつMB社製GCEブランドで発売となった。

欧州・オーストラリア版Vectrexは「Vectrex」ロゴのデザインから異なり、また各国の電源規格に合わせて220〜240v規格の電源を搭載。コンセント部分は基本的に国際C型であったが一部各国に合わせて付け替えられているようであった。本体と同時にソフトもMBブランドで販売、マニュアルは6ヶ国語のマルチランゲージ記述仕様になっており、サイズも大版になっている。

なお(おそらく同時に)カナダでも販売。カナダでは本体は米国製と同じデザインだがソフトには「Canada MB」のブランドが入っていてちょっとややこしい。こちらは土地柄パッケージ及びマニュアルは英語・仏語の二ヶ国語記述仕様になっている。

そして7月に日本でバンダイから販売開始、カタログに「A MILTON BRADLEY」の表記があるのでMB社経由の契約であると思われる。

しかし既に前年のクリスマスで最大のシェアを誇っていた「ATARI VCS(2600)」用ソフトの粗製濫造が元でTVゲーム関連の売上は大規模に縮小、同時にアタリ社の株も急暴落。いわゆる「アタリショック(海外表記は「Videogame Syndrome」)」、の始まりである(詳しくはWikiPedia「アタリショック」の項、及びY'-GTO氏著の"アタリショック"の真実を参照)。日本で「アタリショック」というと「突然ゲーム市場が終了した」というイメージがあるが、実際には1982年のクリスマスを発端に1984年まで次第に市場が縮小したのが事実とのことである。

しかしGCE社はめげず1983年になってもソフトを販売、「LIGHT PEN」及び「3-D IMAGER」という斬新な周辺機器も販売するが追い風とはならず、また欧州でのMBブランドでの販売も行われなかった。

1984年に入りMB社が欧州でのVectrex販売を中止。ほどなくして米国でも極限まで小規模となったTVゲーム市場の煽りを受けてMB社は米Hasbro社に買収される事になりVectrexの生産中止が決定。他のTVゲーム機同様、本体及びゲームが叩き売りされるに至った。

ちなみに最初に「Mini Arcade」の計画を蹴ったKenner社はスターウォーズ三部作が終わった後に経営が悪化して1986年にHasbro Groupに吸収される事になる。人生どうなるか判りませんな。

米国でTVゲーム市場が復帰するのは1986年、任天堂による海外版ファミコンこと「NINTENDO ENTERTAINMENT SYSTEM(通称NES)」が良質なゲームを引っさげてヒットするまで冬の時代は続いた。日本製ゲームにより始まったブームは勝手に終わり、再び日本製ゲームで復活を遂げた、実に皮肉な歴史である…。

1988年にWT社は懲りずに英Sinclair(日本ではホームコンピュータ「ZX-81」で有名)製のFlat TV Tube(同社はこのFlat TV Tubeを使用した「Microvision FTV1」をヒットさせた経歴あり、「FTV1」に関してはFrank's Handheld-TVs: Part 2を参照、技術的には同ページにあるSONYの「WatchMan」と同じようなもんでしょうかコレ)を使用して原点回帰とも言えるハンディ版Vectrexを計画するが、1989年に出て全世界で大ヒットとなった任天堂「ゲームボーイ」の登場により断念する、ハンディ版は見たかった気もするがまぁ計画中止は懸命な判断ですな…。



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